父は玄武洞近くの二見出身です。
昔、玄武洞駅から玄武洞までの交通手段は
「渡し舟」でした。
父は小学生の頃、ここで渡し舟の船頭をしてお金を稼いでいたといいます。
この円山川は昔、蜆がたくさん獲れて、父は目の粗い鋤簾(じょれん)で
大きな蜆ばかりを獲り、良い値段で売っていたそうです。小さな蜆では
味が今ひとつなだけでなく、獲りすぎると資源枯渇になるのを、その時から
意識していたとか。
今は蜆もすっかり減りました。魚も。
そして、玄武洞の渡し舟の姿もなくなりました。
橋もかかっていません。
あるのは、ただ
虹の架け橋。
ちょうど玄武洞にかかっています。